紫式部の宮中生活?嫉妬といじめが渦巻く世界どう乗り切ったか?

光る君へ

「光る君へ」では、
ひそひそ話で紫式部(藤式部)に対して悪口を
言っているようなシーンはあったものの、
そこは女の園、ひそひそ話での悪口で終わるとは思えない。
そこで、紫式部へのいじめについて、
そのいじめに紫式部がいかに向かったかについて調査します。

紫式部への宮中で言葉や態度によるのいじめ

紫式部が宮中で受けた言葉のいじめ:辛辣なあだ名と皮肉
彼女の知識や振る舞いを皮肉るような言葉が
頻繁に投げかけられていました。
以下では、紫式部が実際に受けた言葉のいじめを
詳しく見ていきます。

紫式部を冷やかす言葉による宮中でのいじめー①「日本紀の御局」


日本紀の御局」という言葉は、
紫式部の学識を皮肉るために使われたあだ名。
これは、彼女が『日本書紀』などの古典をよく理解していたことから
他の女房たちが彼女をあえてこのように呼び、
学問に精通しすぎていることを揶揄しました。
このあだ名には、
彼女の知識の豊かさに対する嫉妬と共に、
「知識を誇りに思っている」
といった否定的なニュアンスが含まれています。

紫式部を冷やかす言葉による宮中でのいじめー②「才がりぬる人」


才がりぬる人」という言葉も、
紫式部に対する攻撃の一環でした。
学識をひけらかす人」という意味で、
彼女がその教養や知識を誇示していると感じた
他の女房たちが使った表現です。
特に、紫式部が他の人々よりも
頭一つ抜けて知識を持っていることに対する反感が、
この言葉に表れています。

紫式部を冷やかす言葉による宮中でのいじめー③「上衆めく」


上衆めく」という言葉は、
貴婦人ぶっている」と揶揄する意味で使われました。
紫式部の高貴な振る舞いや、
教養に基づいた所作が他の女房たちからは
「気取っている」と見なされ、
皮肉を込めてこう呼ばれました。
これは、紫式部が宮中で周囲から
どのように見られていたかを象徴する言葉の一つであり
彼女が人々の間で「特別」な存在
されていたことがわかります。

紫式部が受けた宮中でのいじめ:言葉に込められた嫉妬

紫式部が宮中で経験したいじめは、
上記に示したように
特に彼女の教養や知識をターゲットにした
言葉による攻撃でした。
当時、女性が学識を持つことは稀で、
紫式部の優れた才能は一部の人々にとって脅威でした。
彼女の学識が嫉妬を招き、
言葉によるいじめを引き起こすことになったのです。

紫式部が宮中でいじめを受けた理由:嫉妬と競争の影最大原因は嫉妬と競争

紫式部は『源氏物語』を執筆するほどの
卓越した教養を持っており、
宮中で一際目立つ存在でした。
そのため、他の女房たちから嫉妬されることが多く、
彼女の学識や才能が反感を招くことになりました。
宮廷内では女房たちの間に競争があり、
それが紫式部に向けられた
嫉妬や敵対心の一因でした

モミジ
モミジ

今も昔も同じですね。
才能ある人、能力ある人を素直に尊敬するのは難しいのです。

宮中で紫式部について嫉妬から噂をして言葉によるいじめをする女官の画像

紫式部に対する宮中でのいじめは新参者への紫式部への反発


藤原道長の推薦によって
中宮彰子に仕えることになった紫式部は、
他の女房たちと比べて
特別な扱いを受けているように見られていました。
宮中での序列や人間関係は非常に厳格であり、
新参者でありながら重要な役割を担うことが、
既存の女房たちにとっては
不満の種になったと考えられます。
彼女が宮廷内の「外部者」として迎えられたことも、
反発を招いた要因の一つです。

紫式部への宮中でのいじめの原因は文化的な違いが原因の一つ


紫式部は特に漢詩や漢文学に精通しており、
それが他の女房たちに「ひけらかし」と感じられたようです。
宮中での女房たちの中には、
彼女の知識の高さに対する劣等感や疎外感
感じた者もいたかもしれません。文化や知識の違いが、
いじめや嫌がらせにつながることは、
当時の宮廷社会でもよく見られた現象でした。

紫式部の5か月間の引きこもり:いじめと葛藤の中で

紫式部は最初、実家に戻り、出仕を拒否

いじめの影響で、
紫式部は実家に戻り、
約5か月間宮仕えを拒否したと伝えられています。
この時期、彼女は新しい環境に適応することに苦労していました。
しかし、彼女が完全に宮中との関わりを絶っていたわけではなく、
友人たちとの連絡は保っていたようです。
このことから、彼女は完全に引きこもっていたわけではなく、
状況を見ながら慎重に次の行動を考えていたと考えられます。

紫式部に引きこもりの経験が与えた影響

この引きこもりの経験は、
紫式部の作品や日記に少なからず影響を与えたとされています。
宮中での人間関係や、
いじめに対する彼女の苦悩が、
彼女の内面を深く反映
しているのです。
それでも、
紫式部はその後、再び宮中に戻り、
最終的には自身の地位を確立しました。
彼女の強い精神力と知恵が、
困難な状況を乗り越える原動力となり、
後世に残る傑作を生み出す基盤となったのです。

紫式部が執筆に専念するために選んだ場所と言われている石山寺

石山寺の公式ホームページは以下のURLからアクセスできます:
石山寺公式サイト

大本山 石山寺 公式ホームページ

大本山 石山寺 公式ホームページ

大本山 石山寺 公式ホームページ

このホームページでは、石山寺の歴史や見どころ、参拝案内、文化財などの情報が詳しく掲載されています。また、紫式部が「源氏物語」を発想したとされる「源氏の間」に関する記載もありますので、ぜひご覧ください。

紫式部は宮中でのいじめを知恵で乗り越える:目立たぬように振る舞う

紫式部の宮中でのいじめから自分を守るための「バカのふり」という戦略

そんな困難な状況の中で、
紫式部は自らを守るために
いくつかの工夫をしました。
彼女が取った戦略の一つは、
周囲に「バカのふり」をすることでした。
例えば、漢字の「一」すら書けないふりをして、
あえて自分の知識や才能を隠すことで、
周囲からの嫉妬を避けようとしました。このように、
自らの教養を目立たないように隠すことで、
いじめの標的から逃れようとしたのです。

モミジ
モミジ

源氏物語を執筆するために宮中に入った紫式部がバカのふりをするというのは無理があるようようにするというのは無理があるとおもいます。ただ、目立たぬように、知識をひけらかさないように気を付けていたのだとおもいます。
これも、現代に通じるところだけど、結構難しいですよね。誰にも自己顕示欲はおおかれすくなかれあるのですから。

宮中でのいじめを知恵で交わした紫式部の姿

紫式部は宮中でのいじめという辛い経験を乗り越えて:『源氏物語』の創造

宮中での辛い経験にもかかわらず、
紫式部は『源氏物語』を完成させ、
その後も歴史に名を残すこととなります。
逆境の中でも創作を続けた彼女の姿は、
現代にも通じる強さと知恵の象徴です。

モミジ
モミジ

平安時代も現代もいじめの原因の一つに
嫉妬があるのは同じですね。

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