赤染衛門の歌人として、そして「栄花物語」の制作等文学者としての
凄さに焦点を当てます。
宮中での紫式部(藤式部)に
時に優しいまなざしを
時に厳しいまなざしを向けていた女官。
実在の人物。
紫式部同様藤原彰子に仕えた
優れた歌人であり「栄花物語」の制作した才女。
このブログでは彼女の功績につい追及します。
赤染衛門とはどんな人?ー平安時代中期の女流歌人
赤染衛門(あかぞめえもん)は、
平安時代中期の著名な女流歌人であり、
三十六歌仙や女房三十六歌仙の一人として
歴史に名を残しています。
彼女は多くの勅撰和歌集に作品を残し、
その歌風は優雅で理知的だと高く評価されています。
また、彼女の人生や交友関係、
文学的な功績は平安時代の宮廷文化に
深く結びついています。
赤染衛門の家系と結婚
赤染衛門は、大隅守を務めた赤染時用の娘であり、
母はかつて平兼盛の妻だったため、
彼女は兼盛の娘とも言われています。
赤染衛門の夫は文章博士の大江匡衡で、
二人は非常に仲が良く、
当時「匡衡衛門」と称されるほどでした。
このことから、
彼女の家庭生活が非常に円満であったことが伺えます。
赤染衛門は紫式部と共に藤原彰子に宮仕えー豪華な交友関係
赤染衛門は、源雅信(みなもとのまさのぶ)の邸に出仕し、
その後、藤原道長の正妻である源倫子(みなもとのりんし)
やその娘の藤原彰子(ふじわらのしょうし)に仕えました。
彼女は宮廷内での作法や礼儀を学び、
宮仕えの経験を積んでいきました。
赤染衛門の和歌に影響を与えた歌人ー紫式部、清少納言、和泉式部
赤染衛門は、
同時代の著名な女流歌人たちと
深い交友関係を持っていました。
特に紫式部、清少納言、和泉式部とは
親しく交流していたことが知られています。
赤染衛門と紫式部の交友関係
紫式部とは同僚であり、
共に藤原彰子に仕えていました。
紫式部の日記には、
赤染衛門の和歌の才能や人柄についての記述があります。
紫式部が見た赤染衛門の才能と人柄 — 『紫式部日記』から
赤染衛門の和歌の才能
紫式部は、赤染衛門の和歌について
「格調高く、下手に詠み散らさない」
と評価しています。
これは、赤染衛門の詠む和歌が非常に品位があり、
無駄な感情や言葉を散らすことなく、
落ち着いた風格を持っていることを示しています。
彼女の詩作は、
上品さと洗練された感性に裏打ちされたもので、
紫式部自身が尊敬していたことがわかります
赤染衛門と清少納言の交友関係
清少納言とは、
仕えていた主君が異なるものの、
宮廷内での交流がありました。
赤染衛門の和歌には、
清少納言に関するものも見られます。
赤染衛門が清少納言の和歌に対して返歌
清少納言と赤染衛門の間で交わされた和歌のやり取りは、平安時代の文学において非常に有名です。具体的な例として、清少納言が詠んだ歌に対して赤染衛門が返した歌があります。
清少納言の歌:
夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ
(夜が明ける前に鶏の鳴き声を真似て関所を通ろうとしても、逢坂の関は決して許さないでしょう)
これに対する赤染衛門の返歌:
逢坂は けふこそ越えれ ほととぎす 鳴きつる方を 眺むればかり
(逢坂の関を今日は越えることができました。ほととぎすが鳴いた方向を眺めるだけで)
このやり取りは、二人の機知と詩的な才能を示すものとして知られています¹。
他にも気になる和歌や平安時代の文学について知りたいことがあれば、教えてくださいね。
赤染衛門と和泉式部の交友関係
和泉式部とは、職場の同僚であり、
赤染衛門が年長であったため、
上司と部下のような関係だったと考えられます。
和泉式部と赤染衛門 — 宮廷で交差する異なる個性
宮廷で共に仕えた和泉式部と赤染衛門
和泉式部と赤染衛門は、平安時代中期に活躍した女流歌人であり、
共に一条天皇の中宮・藤原彰子に
仕える女房として宮廷に仕えていました。
彼女たちは同じ職場で働きながらも、
年齢や性格、
そして和歌の作風において大きな違いがありました。
先輩と後輩、対照的な二人の個性と和歌
赤染衛門は和泉式部よりも20歳以上年上で、
宮廷においては和泉式部の先輩にあたる存在でした。
赤染衛門は、落ち着いた大人の女性として、
品のある風格を持っていた一方で、
和泉式部は情熱的で恋多き女性として知られていました。
これにより、彼女たちの和歌のスタイルも対照的であり、
赤染衛門は知性と品位を重んじた歌風、
和泉式部は恋愛をテーマにした情熱的な歌を多く詠みました。
二人の互いへの評価と影響
赤染衛門は和泉式部のことを、
情熱的で恋に生きる女性と見ており、
一方で和泉式部は赤染衛門を「落ち着いた大人の女性」
として尊敬していたと考えられます。
同じ宮廷で共に過ごしながらも、
異なる個性と才能を持つ二人は、
対照的な存在でありながらも
互いに影響を与え合っていたのでしょう。
赤染衛門の代表的な和歌と文学作品
赤染衛門は、多くの和歌を詠んでおり、
その歌は『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に93首も収められています。
彼女の代表的な和歌として、
小倉百人一首にも収録されている以下の歌が有名です。
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな
「あなたが来ないとわかっていたら、ためらわずにさっさと寝てしまったでしょうに。あなたを待っているうちに夜が更けてしまい、月が西に傾くまで見続けていました」。
恋人を待つ女性の心情を表現しています。
来るかどうかわからない恋人を待ちながら、
夜が更けていく様子が描かれています。
彼女は『栄花物語』の正編の作者であるとも伝えられ、
物語文学にも大きな貢献をしたと考えられています。
赤染衛門は和歌以外でも才能を発揮ー「栄花物語」の作者の一人
赤染衛門と「栄花物語」:藤原氏の栄華を描く壮大な歴史絵巻
「栄花物語」は全40巻に及び、
平安時代の藤原道長を中心に
彼の時代から子孫に至るまでの約200年間を描いた壮大な作品。
「栄花物語」には当時の宮廷文化や貴族社会の姿が詳細に記録しており、
貴重な歴史書。
赤染衛門の視点で描く「栄花物語」:光と影の歴史絵巻
赤染衛門は「栄花物語」の正編30巻の作者とされています
彼女の立場や視点は、物語に反映されており、
藤原家の栄華や当時の貴族社会の光と影が描かれています。
宮廷文化を彩った赤染衛門—美と知性を兼ね備えた平安の女流歌人
赤染衛門は、平安時代の宮廷文化の中で、
文学と芸術を通じて大きな影響を与えた女流歌人。
彼女の和歌は、
その美しさと知性が融合した作品として、
多くの人々に愛されています。
彼女の人生や作品を通じて、
平安時代の宮廷女性の役割や文学的な才能が
後生に影響を与える素晴らしいのであると
同時に平安時代に和歌や物語の影響力の凄さを
かんじないではいられません。