紫式部の娘である藤原賢子(ふじわらのけんし)、
通称「大弐三位(だいにのさんみ)」は本当に「光る
その才能と恋愛模様で宮廷を魅了した女性です
母譲りの和歌の才能は、多くの貴公子たちとの
恋愛エピソードと和歌について調べてみました。
紫式部の娘・藤原賢子の男性遍歴
藤原賢子が愛した3人の貴公子たち
紫式部の娘である藤原賢子(ふじわらのけんし)、
通称「大弐三位(だいにのさんみ)」は、
平安時代を代表する
才色兼備の女性として知られていますが、
彼女の恋愛模様も注目に値します。
賢子は、多くの貴公子たちと恋愛関係を持ち、
その恋愛は彼女の和歌に色濃く反映されています。
特に有名なのは、以下の3人の男性たちです。
藤原賢子の恋①ー藤原頼宗:藤原道長の次男
頼宗は藤原道長の次男であり、
右大臣にまで昇進した名門貴族です。
彼との恋愛は、賢子の和歌に頻繁に詠まれており、
彼女の感情がストレートに表現されています。
頼宗への和歌には、
彼に対する深い愛情が感じられ、
恋心を真っ直ぐに伝える賢子の姿が浮かび上がります。
藤原賢子(大弐三位)と藤原頼宗が交わした歌の一つとして、
以下のようなものがあります。
藤原頼宗が藤原賢子に詠んだ歌と、この歌に対する藤原賢子の返歌
藤原頼宗が詠んだ歌:
こひしさの うきにまぎるゝ ものならば
またふたゝびと 君を見ましや
(恋しさが紛れるものであれば、また再びあなたに会えるでしょうか)
これに対する藤原賢子の返歌:
春ごとに 心をしむる 花の枝に
たがなをざりの 袖かふれつる
(春ごとに心を染める花の枝に、誰の袖が触れたのでしょうか)
これらの歌は、恋愛の感情を率直に表現しており、
当時の宮廷文化における和歌の重要性を示しています。
藤原賢子の恋②ー藤原定頼:浮気を歌に詠んだ恋
藤原定頼は、藤原公任の長男であり、
正二位、権中納言に昇進した貴公子です。
定頼との恋愛も和歌に残されており、
特に浮気な相手を皮肉る内容の歌が有名です。
賢子は、恋愛に対しても情熱的で、
相手に対する失望や揶揄も織り交ぜながら、
感情を巧みに表現しました。
定頼との複雑な感情のやり取りは、
彼女の歌人としての技量を際立たせます。
藤原賢子(大弐三位)と藤原定頼が交わした歌の一例
藤原定頼の歌:
来ぬ人によそへてみつる梅の花
散なん後のなくさめそなき
(来ない人に見立てて咲いている梅の花が散った後の慰めはない)
藤原賢子の返歌:
春ことに心をしむる花の枝に
たかなをさりの袖かふれつる
(春になると心がしみじみとする花の枝に、誰の袖が触れたのだろうか)
源朝任:年上の恋人との関係
源朝任は、宇多源氏に属し、従三位、
参議にまで昇進した貴族です。
賢子より10歳ほど年上だった彼との恋愛も、
彼女の和歌に詠まれています。
朝任への想いは、
年齢差を感じさせない情熱的なもので、
賢子の恋愛における成熟した一面が垣間見えます。
藤原賢子(大弐三位)と源朝任が交わした歌の一例
源朝任の歌:
春ことに心をしむる花の枝に
たがなをざりの袖かふれつる
(春ごとに私が心の色を深くしみ込ませている
この美しい花の枝に、
誰が気まぐれな袖を触れて、
そのしみ込ませた移り香であなたを嘆かせるのでしょう)
藤原賢子の返歌:
つらからんかたこそあらめ君ならで
誰にか見せん白菊の花
(あなたには私に対して冷淡なようですが、
あなたでなくて他の誰に見せましょう
この白菊の花を)
これらの和歌は、
恋愛の駆け引きや感情のやり取りを表現しており、
当時の貴族社会における文化的な交流の一端を
垣間見ることができます。
藤原賢子の最初藤原兼隆とのの結婚と離婚:平安貴族女性の生き方
藤原兼隆との結婚
当時の貴族社会では特に珍しくない
「家柄」や「政治的繋がり」に基づいたものでした。
兼隆は平安貴族の中で要職を担っており、
賢子との結婚は両家にとっても重要な
政治的結びつきと考えられていたようです。
この結婚から二人は娘をもうけましたが、
それでも家庭の中で問題が生じ、
関係がうまくいかなくなりました。
藤原兼隆との離婚の背景
賢子と兼隆の離婚の原因は、
具体的には文献に明確に残っていないものの、
平安時代における貴族の結婚生活は
しばしば政治的な側面が強調され、
個人の感情が重視されないことがありました。
賢子自身は才能豊かな女性であり、
その才能が家族や夫婦関係に影響を与えた可能性もあります。
当時の離婚は、現在とは異なり、
貴族間では頻繁に行われていたため、
彼女の離婚も特別なものではなかったと言えるでしょう。
今でいう、政略結婚に似ているのかなー
藤原賢子と高階成章の再婚
紫式部の娘、藤原賢子(ふじわらのけんし)は、
最初の夫・藤原兼隆との離婚後、
再び結婚の道を歩みます。
その相手が高階成章(たかしなのなりあき)でした。
この再婚は賢子の人生にとって大きな転機となり
彼女は新たな人生を切り開いていきました。
高階成章との結婚
宮廷での活躍と地位の確立
高階成章との結婚後、
賢子は後冷泉天皇の乳母として仕え、
その忠実な働きが評価されました。
彼女は従三位典侍に任命され、
宮廷内でますます重要な役割を果たすようになりました。
再婚後の賢子は、
単に家庭に収まることなく、
宮廷という舞台で自分の才能と能力を発揮し続け、
女性としての新しい生き方を模索していきます。
藤原賢子の波乱に満ちた人生ー恋多き人生と二度の結婚
賢子の再婚は、
当時の貴族社会において特別な出来事では
なかったかもしれませんが、
彼女自身にとっては新たな人生のスタートでした。
彼女は再び愛を見つけ、
さらに宮廷内での地位を確立するという、
女性としても非常に現代的な生き方を実現しました。
紫式部の娘として育てられた賢子の人生は、
恋愛や結婚、そして社会的な成功を通して、
多くの人々に影響を与え続けています。
紫式部の弟についても調べました。
よろしかった覗いてみて下さい。
紫式部の弟も恋にはとても情熱的だったのですね。