「光る君へ」にドはまり中。
登場人物も素敵ですが、
「呪詛や物の怪」等の平安時代、信じられたことにびっくり。
なぜなら
平安時代、物の怪(もののけ)という存在は日常生活の一部であり、
とりわけ妊婦や出産に関わる場面では、
恐怖の対象として避けられなったようです。
今回は、
藤原彰子が経験した出産のエピソードを中心に、
物の怪とそれに伴う儀式について調べてみました。
藤原彰子の
藤原彰子の出産。まるでオカルトか?物の怪の存在を示す土御門殿での怪異
その後も、彰子を取り巻く状況は
穏やかではありませんでした。
藤原実資(ふじわらのさねすけ)の
『小右記(しょうゆうき)』によると、
8月17日には土御門殿の
井戸の上屋が突然崩れ落ち、
さらには彰子の居室内で犬が出産する
という怪異が相次ぎました。
こうした現象は、
物の怪の存在を示すものとして
周囲の人々を不安にさせたのです。
物の怪に対する道長の対応
彰子の出産が近づくにつれて、
藤原道長は物の怪の調伏を本格的に行いました。
法華三十講をはじめ、土御門殿では連日、法要が行われ、
僧侶たちが集まって加持祈祷を施しました。
また、修験者や陰陽師も総動員され、
彼らの読経や呪文の声が
寝殿を揺るがすほどだったと言われています。
オカルトか?藤原道長が実施した物の怪対策「よりまし」儀式
通常、出産時に物の怪を防ぐためには、
僧侶や霊媒師による「よりまし」という儀式が行われますが、
道長は5組もの「よりまし」を用意しました。
「よりまし」とは
物の怪が妊婦に憑くのを防ぐための霊媒役で、
10代の少女がその役を担います。
彼女たちは物の怪が憑くたびにトランス状態に入り、
大声を上げたり走り回ったりします。
この光景は『紫式部日記』にも記録されており、
物の怪と対峙する緊張感が描かれています。
藤原彰子の騒音の中での出産
藤原道長の徹底的な物の怪対策
道長が物の怪や呪詛を恐れる理由は明白。
皇后定子が既に第一皇子である
敦康親王(あつやすしんのう)を産んでいた中で、
彰子がもし天皇の皇子を産むことになれば、
定子やその父・藤原道隆の物の怪が
現れる可能性があると考えたのです。
こうした背景から、
道長は徹底的な物の怪対策を実施しました。
物の怪の恐怖が渦巻く中での出産
その結果、
物の怪の恐怖が渦巻く中、
彰子は36時間の陣痛の末、
無事に男児を出産。
平安時代の出産がどれほど物の怪や呪詛への
恐れに満ちていたかがわかりますね。
藤原彰子の出産で藤原道長が恐れた物の怪と対策
平安時代の出産は、現代とは異なり、
物の怪や呪詛といった超自然的な存在との
戦いでもありました。
彰子の出産を巡る物語からも分かる通り、
当時の人々がどれほど物の怪を恐れ、
それに対抗するために
どのような儀式や対応が行われていたかが浮き彫りに。
物の怪は、
単なる伝説ではなく、
実際に人々の生活に深く影響を与えていたのですね。
藤原彰子の出産に関しては
次のブログでも書いています。
よろしかったら覗いてみて下さい。