「ブギウギ」で大注目。日本歌劇団(OSK)は、その歴史に数多くの波乱を刻んできました。
松竹時代から始まり、宝塚歌劇団とのしのぎ合い、
そして近鉄時代の苦境からの一時解散と再生。
劇団員たちの奮闘と新たな展開により、
OSKは新たな時代に挑戦し、
魂を込めて継いでいく姿勢を見せています。
その歴史の奥深さと、
未来への期待が交錯するOSKの舞台裏に迫ります。
OSK(日本歌劇団)とは 波乱の歴史をへて輝く
OSK(大阪松竹歌劇団)は波乱万丈の歴史を持ち、
創立100周年を迎えた。宝塚歌劇団とのしのぎ合い、
近畿日本鉄道傘下での厳しい時期を経て、
2003年に存続危機に直面。
努力と新たな戦略により復活。
2013年には黒字経営を達成。
現在は常打ち公演や地域イベントで活動し、
朝ドラの影響で観客に広く受け入れられる。
OSKは102年目に向けて、継続と進化を誓い、
未来へのステップを踏み出す決意を示している。
厳しい時代を何度も乗り越えて
現在が、
まさしく雑草魂ですね。
OSK(日本歌劇団)の松竹時代の芽生え
松竹歌劇団(OSK)は、
1930年に大阪松竹座の新たな出し物として
少女歌劇に挑戦することに。
宝塚少女歌劇団から舞踏家や作曲家を招聘し、
1922年に松竹楽劇部が創設されました。
初期は映画との併演で日舞や洋舞を披露していましたが、
1926年の「春のおどり 花ごよみ」が大きな転機となり、
レビュー様式が確立されました。
その後、宝塚少女歌劇団の成功を受け、
洋舞を取り入れた試行錯誤を経て、
人気を増していきました。
OSKと宝塚歌劇団のしのぎ合い
OSKはかつて宝塚歌劇団と同じ関西でしのぎを削り、
「歌の宝塚、ダンスのOSK」と並び称される。
東京宝塚劇場の開設により
宝塚歌劇団が東京での公演を行う一方で、
OSKは大阪を本拠とし、
関東圏などで全国規模での人気・知名度で
宝塚歌劇団に対抗していました。
OSKのダンスの伝統
OSKは「ダンスのOSK」として知られ、
特に速いテンポで足を上げるラインダンスが団の名物に。
公演の最後には、
桜パラソルを回しながらテーマソング「桜咲く国」を歌う光景。
この伝統は、1929年の公演「第4回 春のおどり 〜開国文化〜」の
最後の場面から開始。
OSKの興隆と低迷
桃色争議と新たなスター誕生 (1933-1934)
1933年、桃色争議が勃発し、OSKはスタークラスの劇団員を失う。
しかし、柏晴江、美鈴あさ子、
三笠静子などが躍り出し、新たなスターが誕生。
1934年、改称して大阪松竹少女歌劇団(OSSK)となり、
大々的な宣伝を展開。
この努力により、人気を取り戻すことに成功しました。
戦後には三組制が導入され、
1950年代まではOSKとSKDの合同公演も行われました。
近畿日本鉄道傘下への移行と厳しい時期 (1971-1982)
1971年以降、OSKは近畿日本鉄道グループの子会社となり、
本拠地を近鉄あやめ池遊園地の円型大劇場に移。
しかし、この時期には劇団の人気が低迷し、
特に1970年代後半には劇団員数や新規入団者が激減。
1982年には創立60周年記念公演が好評を博し、
一時的に劇団の危機を脱しましたが、
その後も経営はますます厳しさを増していきました。
近鉄時代からの苦境
OSKは1971年以降、近畿日本鉄道グループの支援を受け、
本拠地をあやめ池遊園地に移しました。
しかし、宝塚歌劇団がミュージカルで大ヒットを飛ばす中、
OSKは低迷が続きました。
1987年には近鉄劇場での公演を再開しましたが、
経営は安定せず、2002年には近鉄からの支援打ち切りが発表されました。
これにより、OSKは解散の危機に直面しました。
OSKの一時解散と再生-波乱万丈
2003年にはOSK存続の会により、
「熱烈歌劇 re-Birth〜OSK復活のススメ〜」が近鉄劇場で開催され、
存続の活動が本格化しました。
劇団員たちは自ら結成した「株式会社OSK存続の会」
を通じて存続のために奮闘し、
2004年に大阪松竹座での「春のおどり」
公演で新たなOSK日本歌劇団として再スタート。
OSK新たなスタートと挑戦
New OSK日本歌劇団として再スタートしたOSKは、
近鉄時代から残った団員たちと共に、
大阪松竹座や小劇場での公演を中心に活動していました。
しかし、経営は厳しく、
2007年には大阪地方裁判所に民事再生法による
再生手続き開始を申請しました。
再生手続き開始後も公演活動は続けられ、
劇団員たちは再建に向けて奮闘しました。
OSKの新たな展開
その後、劇団はワンズ・カンパニーに事業を譲渡し、
OSK日本歌劇団としての活動を再開しました。
2009年には独立した株式会社としてのスタートを切り、
新たなステージに挑戦しました。
2010年以降は外国人向けの公演やマーケティング戦略の見直し、
ITコンサルティングの手法の導入など、
新たな試みが始まりました。
いくつかの困難を雑草魂で乗り越えてOSKの復活と現在
2013年にはネクストウェアの支援を受け、
マネジメントやマーケティング分野を強化しました。
劇団員たちは自らの力でチケットを販売し、
ITの手法を取り入れて観客の増加に成功しました。
その後、大阪府や日本芸術文化振興協会の助成も受け、
OSK日本歌劇団は黒字経営を達成。
波乱呼ぶ展開を経て新たな展望と期待
OSK日本歌劇団は、
劇団員たちの奮闘と新たな取り組みによって再生し、
現在は道頓堀角座での常打ち公演や地域イベントなどで活動しています。
外国人向けの公演も好評を博し、
新たな展望に向けて着実な歩みを進めています。
劇団のこれからの成長に期待が寄せられています。
魂を込めて継ぐ、これからのOSK
2023年11月30日、日本歌劇団(OSK)が
東京・銀座博品館劇場でのミュージカル『へぼ侍~西南戦争物語』に向け、
心を込めて記者懇談会を開催。
OSKはその魅力と未来への展望を熱く語りました。
独自の舞台芸術、100年の誇り
OSK、大阪発祥の歌劇団は、
「少女歌劇」という独自で特異な芸術を確立し、
100年以上にわたりその昇華と継承に努めてきました。
2022年には創立100周年を迎え、
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』
では同団出身の笠置シヅ子さんを
モデルにしたストーリーが放送され、
大阪編では翼和希が主演し、
多くの観客を引き寄せました。
朝ドラの一石二鳥、団結と熱狂
。
朝ドラの放送をきっかけに、大阪公演は即日完売となり、
OSKの魅力が多くの人々に広く受け入れられました。
唯城ありすは「団結力があり、あたたかい劇団です。
舞台を客席から見ると、
仲間意識が見ていて楽しいし素敵だと思うので、
それが初めてのお客様に伝わればいいな」と、
団の温かさを強調しました
生命力あふれる舞台裏、客席に届く情熱
翼和希はドラマ出演を通じて、劇団の「生命力」に触れ、
「どんな状況下でもたくましく生きる力強さがある。
劇団員のエネルギーが熱く、客席にそれが流れ込んでくる。
その魅力は生で、客席でしか味わえないと思うので、
ぜひ劇場にきていただいて。
私たちが惜しみなく流し込むエネルギーを全身で感じていただいたら」と、
観客に向けた熱いメッセージを送りました。
未来への誓い、102年目へのステップ
来年で102年目を迎えるOSK。
翼は「来年は継続という言葉を大事にしたい。
100年続いた大切なものを守りながら
時代とともに歌劇も進化していくべき。
100年目は感謝の年、101年目は新たな一歩の年。
102年目は継続かな、と。
しっかり前を見据えてOSK日本歌劇団を継続させられるように精進していきたい」と、
未来への決意を表示。
幾多の波乱万丈を乗り越えてこれからのOSK
これからもOSKは、その団結力や生命力を更に高め、
新たな舞台やプロジェクトを通じて、
歌劇の魅力を広く発信し続けることが期待されます。
未来への熱い誓いとともに、OSKの新たな冒険が始まりそうですね。
楽しみにしています。