刀伊の入寇と藤原隆家と「府の止むこと無き武者」平為賢の活躍

刀伊の入寇の指揮が藤原隆家によって寝られた大宰府政庁跡 光る君へ

寛仁3年(1019年)、刀伊の入寇という未曾有の危機に立ち向かった平為賢。
藤原隆家の指揮のもと奮戦し、
府の止むこと無き武者」と称された彼の伝説と、
その勇名が後世に伝わるまでの物語を辿ります。

刀伊の入寇と藤原隆家、平為賢

平安時代、日本が迎えた未曽有の危機「刀伊の入寇」は、
後世に語り継がれる歴史的な事件。
寛仁3年(1019年)、対馬・壱岐、北九州が襲撃され、
殺戮と拉致が行われたこの一大事件。
立ち向かったのが、大宰権帥・藤原隆家と彼に仕えた
「府の止むこと無き武者」平為賢でした。


刀伊の入寇とは

刀伊の入寇:寛仁3年、九州を襲った東女真族の猛攻

寛仁3年3月末から4月にかけて、
東女真族(刀伊)が日本の西端を襲撃。
3月28日、約50隻の刀伊の兵船が対馬と壱岐に上陸し、
住民を虐殺・拉致し、家屋を焼き払い、
牛馬まで殺して食べたと記録されています。
その暴虐は北九州へと及び、4月7日には怡土郡や早良郡などに侵攻


刀伊の入寇での「府の止むこと無き武者」平為賢の活躍

平為賢:刀伊の入寇では「府の止むこと無き武者」と称えられた英雄

刀伊の襲来において特に大きな功績を挙げたのが平為賢
『大鏡』や『小右記』には、
為賢が九州の防衛において重要な役割を果たしたことが記載。
府の止むこと無き武者」という称号は、単なる武勇だけでなく
九州を拠点にした名門の家系に生まれ、
忠義を尽くす者としての評価を示しています。

刀伊の入寇での平為賢の戦い方

平為賢の戦い方は、敵の動きを見極め、
適切なタイミングで攻撃を仕掛けるというものでした。
彼の指揮のもと、九州の武士たちは一丸となって戦い、
刀伊の侵攻を撃退することに成功。

モミジ
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彼の勇猛さと戦略的な判断力は、現代のビジネスリーダーや専門家にも通じるものがありますね。

刀伊の入寇における平為賢の功績と行賞を巡る議論

隆家は戦後、京に報告書を送り、
功績者として11人の名前を挙げました。
その筆頭が為賢。
しかし、勲功への行賞を巡る議論では、
勲功が勅符到着前である以上、報酬は不要ではないか」との意見があり、
為賢を含む多くの功労者には行賞が与えられなかった可能性が指摘されています。

モミジ
モミジ

こんなだから貴族の時代は終わったのかもしれませんね
安全な宮中にいる人間が上から目線で、
命がけで戦った人間達の功績を評価しなかったのだから。
次の命がけで戦う武士の時代の布石かも


刀伊の入寇の後に語り継がれる平為賢の名

平為賢と肥前伊佐氏の始まり

彼は、刀伊の入寇での功績により、肥前国(現在の佐賀県)を与えられました。
その後、彼は肥前国鹿島に定住し、肥前伊佐氏の祖となりました。

平為賢:東国を駆けた名将の軌跡

平為賢は、刀伊の入寇以前からも武将として活躍しており、
特に東国での戦いでその名を知られていました。
彼の勇猛さと戦略的判断力は、
後世に「府の止むこと無き武者」として称えられました。


藤原隆家と刀伊の入寇:九州を救った指揮官の奮闘と勝利

藤原隆家は大宰府での指揮官として、地元の人々と非常に良好な関係を築いていました

刀伊の入寇(1019年)時、藤原隆家は大宰府の指揮官として大きな役割を果たしました。

刀伊の入寇での藤原隆家の迅速な対応:博多湾での刀伊迎撃戦

刀伊の軍勢は対馬や壱岐、博多などを襲撃し、
多くの住民が犠牲に。
藤原隆家はこの危機に対し現地の武士や住民を結集し、
迅速に防衛体制を整え
彼は九州各地から兵を集め
数千人規模の軍勢を編成し、
博多湾刀伊の軍勢を迎え撃ちました。

刀伊の入寇での藤原隆家

隆家の指揮のもと、
日本軍は激しい戦闘を繰り広げ
最終的に刀伊の軍勢を撃退することに成功

モミジ
モミジ

彼の活躍は、現代のリーダーシップや危機管理の模範とも言えるかもしれませんね。


太宰府政庁跡:刀伊の入寇を語る歴史の舞台

大宰府政庁跡は、古代日本の九州地方における
政治・軍事の中心地であり、特に対外防衛の拠点として
重要な役割を果たしていました。
刀伊の入寇の際、大宰府政庁は防衛の指揮を執り
侵攻に対する防衛策を講じました。
刀伊の入寇で中心となった舞台の一つが太宰府政庁です。

刀伊の入寇の時に藤原隆家たちが進行に対する防衛策をとった場所のイメージ図

現在、その跡地には往時の栄華を偲ばせる遺構が残り、
多くの観光客が訪れています。
この地を訪れることで、
藤原隆家や平為賢たちが命がけで守った
平安時代の西日本の姿に
思いを馳せることができるでしょう。

モミジ
モミジ

大宰府政庁跡であることを知らなければ、
ただのだだっ広い中に、石があるだけの場所
地元の学生の「地域研究」の格好の集合場所
遅刻した生徒が指導されてる姿をよく目にします。
歴史を勉強するとだだっ広いだけで、石以外何もない場所が
遠い昔の姿を物語っているようにおもえるから不思議ですね。
ちょっと頑張れば、大宰府天満宮まで歩いていけますよ。

大宰府政庁跡に関する公式なホームページはこちら

    ↓↓↓

福岡県観光公式サイト「クロスロードふくおか」:大宰府政庁跡ページ【41】
大宰府観光協会公式サイト:大宰府政庁跡ページ【42】

藤原隆家と平為賢:刀伊の入寇に刻まれた勇者たちの物語



藤原隆家と平為賢は、刀伊の入寇という国難においてその名を歴史に刻みました。
行賞は得られなかったかもしれませんが
その功績は後世の説話や記録に残り、
多くの人々に語り継がれています。
九州の地を守るため奮戦した彼らの物語は
今なお私たちに勇気を与えるものです。
太宰府政庁跡を訪ね、その歴史に触れる機会をぜひ持ってみてください。

藤原隆家については都での失脚やその後の様子についても
ブログを書いています。「光る君へ」の中で成長した姿が描かれたまれな人物だとおもいます。

よろしければ覗いてみて下さい。
   ↓↓↓

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