紫式部の弟、藤原惟規と斎院の中将との身分を超えた恋とは?

光る君へ

藤原惟規どうも恋愛については破天荒だったようです。
性格は明るく社交的でしたが少し変わり者
そんな彼がとんでもない恋に落ちました。
相手はなんと大胆にも身分を超えた斎院の中将に恋
彼女に会うために男子禁制の斎院に忍び込む
という大胆な行動を取り、
見つかった際には即興で和歌を詠んで窮地を逃れました。
この恋は身分制度や禁忌を超えた情熱的なもの。

自由奔放な紫式部の弟、藤原惟規の個性と宮廷での存在

1. 自由奔放な弟、藤原惟規の個性

紫式部の弟、藤原惟規(これのり)は、
紫式部の才能溢れる姉とは対照的に、
非常に自由奔放で感情豊かな性格だったとされています。
この個性は、当時の宮廷社会においても彼を少し変わり者として目立たせることに。

2. 学問に対する無関心と自由な性格

惟規は、学問や詩に対して特別な関心を示したわけではなく、
姉のような知的な人物として評価されることは少なかったかもしれません。
しかし、彼の自由な性格は周囲の人々に愛されていたようです。
紫式部の『紫式部日記』において、
彼に対する批判的な記述が見られる一方で、
姉弟の間には深い絆もあったことが伺えます。

3.藤原惟規の個性と宮廷社会での存在感

紫式部が自身の作品を通じて宮廷社会の複雑な
人間関係や感情を描写したように、
藤原惟規もまた、その奔放な性格を通じて、
当時の社会においてユニークな存在感を放っていたに違いありません
彼は、世間の常識や枠に囚われることなく
自由な心で生きた人物として
平安時代の歴史の中にその姿を残しています。

モミジ
モミジ

「光る君へ」に描かれた藤原惟規の自由で明るい性格、
紫式部との関係はどうやら史実通りだったようですね。

藤原惟規と斎院の中将との身分を超えた大胆な恋

「光る君へ」で注目の藤原惟規の生涯と背景

藤原惟規は、平安時代中期に活躍した貴族であり、
歌人としても名を馳せました。
彼は有名な作家である紫式部の兄弟であり、
蔵人として朝廷にも仕えていました。
その知性と詩才で、
多くの人々の注目を集めた人物
です。

藤原惟規

斎院の中将の出自

斎院の中将は源為理(みなもとのためまさ)の娘で、
母は「播磨(はりま)」と呼ばれる女性でした。
彼女は村上天皇の第十皇女
選子内親王(のぶこないしんのう)
に仕えていました。
さらに、和泉式部の姪であったとも伝えられており、
その美しさや才能が際立っていた女性でした。

斎院の中将

紫式部の弟、藤原惟規と斎院の中将との身分を超えた大胆な恋

平安時代の恋愛は、
現代とは異なる独特の美しさやロマンでいっぱい。
紫式部の弟(兄という説もあり)である藤原惟規(ふじわらののぶのり)と
斎院の中将(中将の君)との恋愛は、
特に有名なエピソードの一。
二人の関係は、
平安時代の貴族社会における禁忌を破るものでした。

斎院の中将と藤原惟規の身分の違い

平安貴族の中での斎院の中将の身分

斎院の中将の誕生と宮廷での役割


斎院の中将は、
平安時代を代表する女性歌人
斎院司長官であった源為理(みなもとのためまさ)の娘
として生まれました。
彼女は村上天皇の皇女
選子内親王(のぶこないしんのう)に
仕える女房として宮廷で重要な役割を果たしていました。

高貴な地位を持つ斎院の中将


斎院という神聖な場所に仕える女房としての
彼女の地位は非常に高く
貴族の中でも一際目立つ存在
彼女が仕えていた選子内親王は皇族であり、
斎院の中将はその側近として皇族に近い立場。
このため、
斎院の中将は非常に高貴な身分の女性だったのです。

藤原惟規の身分

一方で、藤原惟規もまた平安時代中期の貴族であり、
歌人としても知られていました。
彼は藤原北家良門流の出身で
父は藤原為時(ふじわらのためとき)、
母は藤原為信の娘という血筋を持ちます。
彼自身は一条天皇に仕え、
六位蔵人や式部丞などの官職を歴任しましたが、
最終的には従五位下という地位に留まりました。

斎院の中将と藤原惟規の身分差と恋愛の障壁

藤原惟規は貴族でありながらも、
斎院の中将ほどの高い地位を得ることはありませんでした。
平安時代の貴族階級には細かな序列があり、
惟規の官位は中流の貴族としてのものでした。
このため、彼と斎院の中将の間には身分の違いがあり、
その恋愛には社会的な障壁があったのです。

藤原惟規と斎院の中将に会うために斎院に忍む

藤原惟規が斎院の中将に会うために忍び込んだ夜の出来事


ある夜、藤原惟規は禁制の斎院に忍び込み
斎院の中将がいる部屋に向かいましたが、
女官に見つかってしまいます。
逃げる間もなく門が閉ざされ、
惟規は絶体絶命のピンチに
しかし、彼は斎院の中将に助けを求めます

内親王の寛大な助け

彼女はすぐに事態を選子内親王に報告し、
内親王は惟規を逃がすよう女官に命じます
内親王は
「神の斎垣を越えた者は歌人ですから、
お帰しして差し上げなさい」と、
和歌を詠んだ惟規を庇護したのです。

ドラマチックな恋の結末


このエピソードには、
惟規の大胆さと斎院の中将の優しさ、
そして内親王の寛大な判断が見事に描かれています。
彼の情熱と知恵が、
厳しい禁忌を超えて二人を結びつけた瞬間です。

藤原惟規が斎院への忍び込みの夜に詠んだ和歌でピンチを切り抜ける

平安時代の恋愛には、
情熱と同時に詩的な美しさがありました。
藤原惟規が斎院の中将に会うために
男子禁制の斎院に忍び込んだ夜
彼が即興で詠んだ和歌は以下の通りです。

和歌の内容

神垣(かむがき)は 木の丸殿(このまるどの)に あらねども 名のりをせねば 人咎めけり

この和歌の意味は、
「ここは木の丸殿ではないのに、
名乗らないと咎められてしまうのですね」というものです。
木の丸殿とは、
天智天皇が隠棲していた場所で、
訪問者が名乗らなければならなかったという故事に基づいています。

藤原惟規の機転

この和歌を詠むことで、
惟規は見つかってしまった窮地を
切り抜けることができました。
和歌は平安時代の貴族たちにとって
単なる文学表現ではなく、
機転を利かせた
コミュニケーションの手段でもあったのです。

筆と短冊

藤原惟規と斎院の中将のその後

藤原惟規と斎院の中将との関係はその後も続いたと言われていますが、
詳細は定かではありません。
それでも、この和歌に込められた情熱と知恵は、
後世まで語り継がれています。

モミジ
モミジ

それにしても、藤原惟規なかなかやりますね。

紫式部の娘についても調べました。
よろしければ覗いてみてください。

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