ブギウギ 鳥羽善一のモデル・服部良一と笠置シズ子

朝ドラ

朝ドラ「ブギウギ」盛り上がっていますね。
これから日本中を熱狂する「ブギウギ」の女王に。
そこで欠かせないのが鈴子の相棒とともいえる鳥羽善一。
草彅剛さんが講演していますね。
鳥羽善一さんのモデルとなっている
服部良一さんてどんな人?
日本のジャズシーンに不朽の足跡を残した作曲家・編曲家、
そしてジャズの魔法使いとも言える服部良一の人生に
スポットを当ててみたいと思います。

ブギウギ 草なぎ剛が演じる鳥羽善一のモデル・服部良一と笠置シズ子

今回は、日本の音楽シーンに不朽の名を刻んだ二人、
笠置シヅ子の生みの親ともいうべき
服部良一に焦点を当ててみたいと思います。
彼らの素晴らしいコンビネーションが、
1938年に松竹楽劇団で始まり、
戦後の日本に「和製ブギウギ」の波を巻き起こしました。
その舞台となったのは、新しい芸能形態であるレヴュー。
物語や台詞よりも歌と踊りが中心となったこのステージで、
笠置は「ブギの女王」と呼ばれ、服部は作曲家・指揮者として
数々の楽曲を提供しました。
そして、彼らは大阪の音曲文化の伝統を受け継ぎながら、
日本の音楽史に不朽の名を刻んでいったのです。

幼少期からの音楽への情熱

服部良一は1926年生まれ、若くして音楽の魅力に引き込まれました。
彼が初めて触れたのは、母親のピアノ
幼いころからその指先に宿る音の魔法に心を奪われ、
音楽への情熱が芽生えました
ピアノとの出会いが、彼の未来を切り開くきっかけとなったのです。

ジャズとの運命的な出会い

一方で、戦時中の日本でジャズという
新たな音楽ジャンルが広がりつつありました。
服部良一はこれにも興味津々。
ノートや録音機材を手に、ジャズのリズムやアドリブの技巧を
独学で学び始めました
その才能は驚異的で
まるでジャズが彼の血に流れているかのようでした

豊かな経験とジャズの学びの旅

若干14歳にして、服部良一は東京音楽学校に進学
しかし、彼の探究心は止まることを知りません。
アメリカのジャズの本場への憧れから、
彼は渡米の夢を抱きました。
そして、1951年、ついに渡米を果たしました。
ニューヨークでの彼の日々は
音楽との深い対話に満ちていました

ジャズの魅力を日本に広める

帰国後、服部良一はアメリカで学んだ経験を基に、
日本におけるジャズの普及に尽力しました。

彼のアレンジや作曲は、
伝統的な和楽器とも見事に調和し、
独自の音楽スタイルを築き上げました。
その功績から、彼はジャズの名だたるアーティスト
たちとのコラボレーションの場を広げ、
日本の音楽シーンに新しい風を吹き込みました。

「和製ブギウギの誕生:笠置シヅ子と服部良一の音楽旅」

笠置シズ子との出会い

物語は1938年、帝国劇場での「松竹歌劇団(SKD)」の旗揚げから始まります
この舞台で、笠置シズ子が参加しており、
そこで服部良一と初めて出会ったのです
しかしながら、当時は日中戦争から太平洋戦争へと進む不穏な時代であり、
二人の関係は深まることはありませんでした。

服部良一の視点から見た笠置シヅ子

笠置シヅ子の音楽について、
服部良一は独自の視点からその特異性見つけ出しました。
笠置が初期には頭のてっぺんから声を出し、
高音域から地声へ転じる姿勢を示しました。

また、彼は日本人の声の特異性に言及し、
「先進諸国の人が持つ声のボリュームがない限り、
日本人がつくった声は早く滅びる

という独自の見解を持っていますた。

笠置シヅ子は多面的な才能を合わせ持つ歌手と評価

服部は笠置を「鮮烈なパーソナリティと自己演出を合わせ持つ歌手」
と位置づけ、
その他の優れた歌手との差異を強調しました。
笠置が大衆の心をつかむ力に優れ、
彼女の歌が洒落たものではなく
ゴミゴミとした街の中で大衆の灯となっている
と評価しました。
「陋巷(狭く汚い路地、貧しい裏町)の歌い女」
として、
笠置の個性や魅力を称賛しました。

この見解は、笠置が独自の音楽スタイルで大衆に愛され、
一風変わった存在となった背景を浮き彫りにしていますね

そして「東京ブギウギ」の誕生

戦争が終結した後、
1947年に笠置が歌った
「東京ブギウギ」が大ヒット
これがきっかけとなり
、彼らは「和製ブギウギ」の先駆者となり、
数々の楽曲を生み出していきました。

時代背景の中で芽生えた彼らの音楽は、
戦後の混沌とした時代に一石を投じ、
多くの人々の心に響きました。

レヴューの舞台

そして、その舞台となったのがレヴュー
物語や台詞よりも歌と踊りが中心となった
この新しい芸能形態は、
笠置と服部にとって絶好の舞台となりました。
特に大阪で独自に発展したレヴューは、
欧米の音楽やダンスの要素を取り入れ、

彼らの才能を最大限に引き立てました

服部良一と笠置シヅ子は大阪の音曲文化のルーツ

大阪出身の笠置と服部は、
そのルーツに大阪の音曲文化を持っています。
彼らは庶民として生まれ育ち、
近世以来の寄席や大道芸で楽しまれてきた
「音曲」の伝統を受け継いできたのです。
音曲は彼らにとって
日常的な娯楽であり遊びであり、
西洋由来の高尚な「音楽」とは
異なる魅力がありました。

日本の音楽の変革者としての功績

服部良一は音楽の枠を越え、
映画やテレビドラマのサウンドトラックも手がけました。
その幅広い才能は、
彼がどれほど音楽に対する情熱と探究心を
持ち続けていたかの証でした。
彼の手にかかれば、
どんなメロディも彼独自の色合いで
輝きを増すのです。

服部は、笠置の歌手活動を支えるだけでなく、
映画やテレビの音楽も手掛けた。
特に、黒澤明監督の『酔いどれ天使』
や『生きる』、『七人の侍』などの
名作に音楽を提供し、
日本映画の歴史に名を残しています。

永遠の輝き─音楽への未練

しかし、服部良一の人生は花道に到達することなく
2001年に永眠しました。しかし、
彼の音楽は今もなお私たちの心に響き続けています。
ジャズというジャンルに対する
独自のアプローチは、
未だに多くのアーティストや音楽愛好者に

影響を与えています

ブギウギで鳥羽善一を演じる草彅剛さんの演技の魅力 

草彅剛の真摯な演技力

草彅剛は役に対する真摯な姿勢と、
役柄に寄り添いながらも独自の味付けを加える芸術性が光ります。
彼の演技力は、善一のキャラクターに深みと奥行きを与え、
視聴者を引き込みます。
オープニングの不気味な雰囲気が、
彼の演技をより際立たせているのです。

視聴者と善一の共感の結びつき

ブギウギの舞台で繰り広げられる草彅剛の魅力に触れることで、
視聴者は善一のキャラクターに一層共感を抱くことでしょう。
その独自のアプローチが、
草彅剛が演じるキャラクターに深みを与え、
視聴者を引き込んで離さないのではないでしょうか。

和製ブギウギの誕生と輝き―笠置シヅ子と服部良一の音楽史への足跡

日本の音楽シーンに不朽の名を刻んだ笠置シヅ子と服部良一。
彼らの素晴らしいコンビネーションが1938年の松竹楽劇団から始まり、
戦後の日本に「和製ブギウギ」の波を巻き起こしました。
新しい芸能形態であるレヴューの舞台で
笠置は「ブギの女王」と呼ばれ、
服部は作曲家・指揮者として数々の楽曲を提供。
彼らは大阪の音曲文化を受け継ぎながら、
日本の音楽史に不朽の名を刻みました。

そして草彅剛さん演技サイコーです。

one, two, three 読んでくれてありがとう。

モミジは「ブギウギ」にドはまりして、
笠置シヅ子さんにどはまりしています。
他にもいくつか関連のブログをあげていますので
よかったら。          

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